日本料理は、さかのぼること神様の賜物

 
冷めても美味しいアラレ揚げは京都の舞妓さんにたいへん好まれているお料理です。
お料理の量を拝見すると少しひかえめな感じですが一つ一つの食材をゆっくりと味わうにはお腹の程度もよいあんばいになるお品数。

あられ揚げとは、天ぷら衣にあられをつけて揚げたもの。材料に片栗粉をまぶして天衣にひたし、あられを付ける。そして低中温でゆっくりと焦がさないように揚げる日本食の心は、粋なおもてなしの一つです。

あられの歴史

わたしは、大和の地にある官幣大社で日本神話である古事記を透して神社神道の教えを乞うご神縁に授かりました。

その古事記の中にも出てくる有名な天孫降臨では、天照大御神様は孫のニニギノミコトに稲穂を渡し「これで豊葦原の国(日本)を開拓して暮らしをたてなさい」と神勅なさいました。その意味は、「お米を作ることで日本の繁栄に繋がる」とお教えになり、太古から神前にお米をお供えします。

さて、お米にも相通じる、あられ、かきもちの歴史でございますが、古く鏡餅の由来にさかのぼること、紀元前の垂仁天皇の時代、大物主神(おおものぬし)の娘である大田田根子(おほたたねこ)に大国主命(おおくにぬしのみこと)が「元旦、荒魂の大神に紅白の餅を祭れば幸福が訪れる」と教えられたことから始まると伝えられています。

また応神天皇の御代(300年代)に初めて餅を作り米餅搗(たがねつき)の姓を賜ったとされる米餅搗大使主命(たがねつきおおかみぬしのみこと)を祭った神社が滋賀県にあり、この小野神社は餅の神様とされております。

縄文時代末期から弥生時代にかけ、農耕技術が伝わり、穀物の生産が増加するにつれ、穀物の加工が始まりました。
籾(もみ)のまま米を焼いた「焼き米」や炊いたご飯を天日で乾かした「ほしいい」のような簡単なものから、少し高度な「餅」や「だんご」まで作られ常食用としてのみならず、嗜好品としての間食用としても用いられ、これらが後の和菓子の起源といい伝えられています。

奈良時代(800年代)に五穀豊穣祈願のため、糯米を神前に供えた後、土皿でこれを焙って食されたことが、あられの起源とする説もあるようです。また平安時代の書物には「あられ餅」や「玉あられ」という名がでてきますが、徒然草にでてくる「かいもち」も「かきもち」ではないかとという説もあるようです。

神さまへの奉納される「お米」や、上流階級が食してきた⁡、あられやかきもちの歴史に触れると「神国」に生まれたことへの感謝が身にしみて感じられます。本日もはんなり時間をありがとうございました。

『美色達人』倶楽部

日夜「日本 帝王学」を研磨し、陰陽道を修養する日々。
しかし、ゆったりと肩の力を抜き「無所属」になる時間も大切にしたいものです。
 
海外移住から帰国した2014年、改めて日本の優美に魅了されて以来、日本舞踊のお稽古に通ったり、戦国時代の織部茶道に触れ「静」の時間を過ごしています。

時に、リーズナブルなお値段で市川海老蔵さんや中村獅童さんの歌舞伎のチケットを入手して観劇で日本伝統文化を楽しみ、またガイドブックにはのっていない「京都めぐり」街の探索も楽しんでいます。それは、どんなに空間を演出しようとも外国では味わい尽くせない日本の「雅」「侘び寂び」がございます。

 
2020年初頭から世界中で猛威を振るう新型コロナウィルス感染拡大の影響から孤独を感じた人は少なくはないのではないでしょうか。
しかしながらも近年、情報が氾濫し、忙しい毎日を混沌と過ごしています。
忙しさと共に、ただ過ぎゆく時間が流れ、自分がいったい誰なのかを見失い、自分の進むべき道すらわからなくなり、人々は路頭に迷いだします。
また、目の前の「課題」に取り組むだけの人生に溺れてしまう。
 
それらを快癒すべき、ニュートラルとなり、心ほどく時間がとても大切なように感じています。
気負いすることなく穏やかで、和やかながらも人は、正しい「美」に触れることで幸せになります。
そんな思いから命名した『美色達人』倶楽部。
 
  • 食べること
  • お酒が好きな方
  • 和の心が好きな方など
    心ほどける、楽しいお時間を共有できると嬉しいです。