この世は原理原則で成り立っている

こんにちは!いつもありがとうございます。
日本帝王学 経営者協会(日帝経)のDemi伊藤です。

 

マザーテレサの格言で……

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あなたに出会った人がみな、最高の気分になれるように、親切と慈しみを込めて人に接しなさい。

あなたの愛が表情や眼差し、微笑み、言葉にあらわれるようにするのです。

喜びとは、魂を捕まえられる愛の網なのです。

大切なのは、どれだけ多くをほどこしたかではなく…それをするのに、どれだけ多くの愛をこめたかです。

大切なのは、どれだけ多くを与えたかではなく…それを与えることに、どれだけ愛をこめたかです。

短くて口に出しやすい言葉でも、心のこもった言葉はある。
そんな言葉はいつまでも心の中に輝き続ける。

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心に響き、感銘を受けます。

しかしながらも、自分の心の奥底に「自分を良く見せたい」「いい人と思われたい」「先に恩を売っておこう」というエゴ……つまり、私利私欲があればマザーテレサの格言と自分の心の姿勢は、一致しません。

なぜなら自分の心の奥底が他者に見えることはありませんがそもそもの自分の動機に大きなズレがあります。

 

また、わたしの師竹田和平さんの格言

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【自己の徳を積むために与えようと思えばいらぬ我が育つ】

与え合うことがいい世の中を創るといっても自分を見失ってまで与えてすぎてはいけない。

”たわけ者”という言葉があるけどたわけ者の語源は、”田分け者”。

田は稲を作るところだけれども食うに困る人がいるからと言って田を分けてしまったら来年は自分たちが食べる米が不足する。
何でも与えることが愛情だと勘違いしてはいけないんだ。

そして何でも与えれば徳を積めると思ったらいかんよ。与えるときは相手の立場も考えなきゃいけないんだ。

それなのに自分の徳ばかり考えてしまうといらぬ”我(エゴ)”が育ってしまうからね。

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つまり、マザーテレサの格言に竹田和平さんの格言で補足をいれると何となく漠然とした”原理原則”の大枠のニュアンスが伝わるのではないでしょうか。

例えば人生においての実生活である物事に対して……「する?」それとも「しない?」を決めるうえで瞬時に判断しなければならずする?しない?に悩むことはありませんか?

悩みますよね。
かつてのわたしも、学生時代は”優柔不断の王者”と周りに言われるほどに大いに悩みました。というのも思春期に……

人間は死ぬまでにどれほどの悩みを抱え……答えの見つからない苦しみをどこまで味わい……
いったい、いつになれば『悩みのない人生の楽園』に辿り着けるのだろうと悩みの重さに押しつぶされてしまうのではないかと思うほど、悩み多き時代を過ごしました。

後にわかったことですが……人生とは、常に”選択の連続”で、「する?」「しない?」の判断を瞬時に、決めなければならずその選択は対極に位置する物事を自己の責任で決断しなければいけません。
その場では、その物事が大きい小さいと認識していなくても追々になって、蓋を開けると人生の岐路ともいえる場面に遭遇していたいうケースは人生で決して珍しいことではありません。

ただ、厄介なことは自分一人の問題ではなく相手という第三者の絡みがあればなお、実に悩ましくなることです。

特に問題が大きければ大きいほどに悩み……問題が複雑であればあるほどに悩みます。

実際の目の前で、難しい場面に直面し、第三者が絡んでいる場合考えれば考えるほどに頭がごちゃごちゃになってしまい自分の判断に困ってしまう方も多いはずです。

わたしのところのコンサル生でも原理原則を体得する前段階ではみんな頭を悩ませます。特に40代~50代女性に多いです。

その局面でどうすればいいのかという答えはテクニックではどうにもならないのは勿論のこと、考えても答えは安易に出るものでもありません。

答えが安易に出ない理由は……色々ありますが、その中でも女性は、帰属意識が高く、解釈のヒズミを持つため

・変な人と思われたらどうしよう
・わがままと思われたらどうしよう
・叱られたらどうしよう
・ここで無視したら冷たい人になる
・後で、自分の言動で問題が大きくなったらどうしようなどなど、ついつい色々と考えてしまいます。

第一関門の判断基準として……自由とわがままの違いは他人を妨げるかどうかになりますが要は、自分の内面の土台がしっかりとしていれば今、目の前に起こっている事柄の
本質を見極めることができ、自分の発言や行動、所作動作に責任が持てるようになります。
つまり、女性の持つ悩みとして「漠然とした不安」がまとわりつくことがとても多いのも同様自分の内面の土台がしっかりとしていれば漠然とした不安は解消され自己の内面環境も一番いい状態になります。

つまり漠然とした不安は、自分の内面の土台のぐらつきから起こり……仕事の面や、自分の内面、健康の面でもジンワリと何らかの問題が生じているからです。

自己土台再構築

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画像で表すとこんな感じです。

そして長年、放置されていた内面の土台は上記の画像のように土台がスカスカの状態となり……何か事があるたびにどの判断基準が正しいのか何が正しくて、何が正しくないのかですらわからなくなり、最終的に自分自身が誰なのかまでも見失い自分迷子に陥ってしまいます。そして「自分は今のままでいいのか」「これからどう生きていけばいいのか」など、ついつい考えています。

かつての日本はしっかりとした精神性が備わり人格者として人間力がありました。

しかし……秩序は事実上失われ、精神性が内部から崩壊し、現代人は自分が誰なのかを見失っています。

今後、残された人生を有意義且つ、自己内観の快適な人生を歩むためには、

自分迷子にならぬように「原理原則」を体得し、本来の自分自身を取り戻して、自分の内面の質(濃度)を高めることです。それは、石を1つ1つ丁寧につみあげて作る
石垣のように自分の”在り方”の土台をシッカリと創りあげること。

自己の内面環境の土台がシッカリとしているからこそ安らぎと、よろこび。豊かさとともにビジネスで稼ぐことができ人生の成功を手にします。そして稼いで儲けたお金をかしこく増やしていく。

福沢諭吉の格言で「いまだ試みずして、まず疑うものは、勇者ではない」とあります。人生は実践してこそ、価値があり
と経験が備わります。その知識と経験が、あなたの人生の豊かさを彩るのです。

 

突然。グローバルな表現になりますが原理原則の考え方としてはこの地球上においてのすべてのことに当てはまります。

例えばお料理。お料理をする前準備を土台と捉えるなら下ごしらえで様々な準備を経てしっかりとあく抜きを行うと素材の良さが引き出されます。また下ごしらえの際に
下味をつけるとお料理に深みが出てより美味しく頂くことができます。
また、お金も一緒です。地球に住み、社会と関わって生活を営んでいくにはお金と縁を切ることはできません。しかしたまに、”お金には興味がない”などと大人げない発言をされる方がいらしたり心情からの痛み(お金は汚い、怖いなど)作用で、お金から目をそらしている方も決して少なくはありません。

悲しいかな。。。世界から見ての日本人の金融リテラシーは、幼稚園以下なのが事実です。イギリスでは、小学生からお金の勉強会がはじまり、中学生で、”自分が50歳になったころ”には数千万~億単位のお金が貯まり自分自身でシッカリと生活を守るための教育がシッカリと施されます。

そして、海外では、その学びを単なる知識で置いておくのではなく自分の将来や家族のためにお金に対する原理原則を学び、体得して実践しています。日本の金融リテラシーは幼稚園以下。しかし、恥じることはないとないとわたしは、思っています。

福沢諭吉の格言に

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学問の本質は学問を自分がどう活用できるかにかかっている。
現実社会に応用できないような学問は無学と言われても当然である。

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日本が出遅れているなら出遅れてるなりに正しい知識を学び正しい情報を得ればいい。

ただ、それだけ。

将来を見据え日本人の金融リテラシーを高め…将来のお金に対する不安を快癒し、わたしと関わる方々の幸せと平和を心から節に願っています。