男と女の違い
封建的社会から近代社会に移り変わり、テレビ・映画・雑誌などからの影響で「現代風完璧主義者」が多くなりました。
人は個性豊かに表現することが許される時代になり、現代風完璧主義で個々の持つ感情、モノの見方や感じ方が多種多様です。
この時代に入り、そもそも完璧な人間の定義もさまざまです。
しかしながら、全てオールマイティ完璧人間などこの世には存在しません。
日本の神話である古事記が最近話題になっていますが、古事記に登場する八百万の神々ですら完璧ではないことが書物の中に記されています。
例えば、古事記の世界では、火の神には火の神のお役目があり、水の神には水の神のお役目があり、風には風のお役目、土には土のお役目というように火の神が水の役目を奪おうとはしません。
そもそも、それぞれの持つ性質が違い、性質が違えば行うお役目も違います。
日本神話は問えば問うほどに感慨深いものがあります。
例えば、経営者が完璧過ぎると、部下が育ちません。
しかし社長が全ての仕事をする方が効率も生産性も上がることを社長は知っています。
そんな社長の口癖は「自分がもう1人いたら」「自分がもう10人いたらうちの会社は儲かる」といった具合です。
では、根本的に、ナゼ人間を創造した主は同じ人間を2人以上つくらなかったのか?!になってきます。
また男と女でいう男女間では、女性が完璧だと男性の出る幕がなくなります。
逆に男性が完璧でも女性の出る幕がありません。
つまり、男女間が成立しないのです。
日本神話の八百万の神々のように
男性には男性のお役目。
女性には女性のお役目があります。
女性が、終わりのない完璧主義者を求めるのは、ローカルに見てグローバルに生きようとする人生です。
”女は少々難がある方が良い”というのは少し語弊がありますが、完璧を求めすぎるのは、理想の夢物語です。
女性は、女らしく、愛らしく、グローバルに見てローカルで生きること。
まず、視座を高め、様々な角度で物事を見るようにして、冷静に先を見据えるように心掛ける。
そして自分の中から湧き出る健全な愛を持ちながら、今目の前にあることをこなしていく。
それは、とても美しい在り方であり、とても美しい姿になります。
ある女優さんが、自分が目指す女性像という言葉で
「飾り氣のない、壁のない、スキのある色っぽい女性」をいう記事を見かけました。
この言葉の中には完璧主義的な角ばったものではなく、”透明感”という円曲線のようなものが連想されてきます。
つまり
男性には男性のお役目を図形で表すと、四角形なイメージ。
女性のお役目を図形で表すと、円曲線なイメージ。
どうすれば貴女は円曲線的な内面を持つ自分に戻ることができるのか。
答えは簡単。
自分の本質に立ち返るということです。