笑うしあわせな終活

こんにちは!いつもありがとうございます。
日本帝王学 経営者協会(日帝経)のDemi伊藤です。
 
 

先日クライアントとのコンサル日に「終活」の内容の話になりました。

終活とは「人生の終わりについて考える活動」を略した造語で、
2009年に終活に関する書籍が出版されたことを機に徐々に広がりはじめ、
2011年の映画『エンディングノート』の公開や、
2012年の「ユーキャン新語・流行語大賞」でのトップテン選出などを経て、社会現象を巻き起こしました。

 

日本の社会は急速に少子高齢化が進み、近い将来、団塊の世代が大挙して介護を受け、やがてこの世を去る。

そのため現代では高齢者の間では、周囲に迷惑をかけずに人生を終わるための準備する必要性が増してきました。

20世紀初頭のように一世帯10人近い子をもうけた時代には、分担して親の老後の世話や故人の後始末を行うことができました。

現代のように子供1人または子供がいない夫婦や、未婚者が珍しくない時代には、子供の世代へ大きな負担はかけられない。

昭和期以前に比べて地域社会での人間関係も希薄になっており、社会現象として“終活”が広がっています。

 

わたしは、前職で多くの孤独死を目のあたりにして、自分の内面の断捨離がいかに大切なのかを身近に感じながら生活してきました。

わたしの師の言葉
「人は死を迎え自分の魂が体から抜け、あの世に辿り着くまでに、自分の今まで生きた人生を走馬灯のように見ながらあの世に向かうんだよ。その理由は、自分がこの世に生を受ける前に、自分にしかない性質と自分のお役目を持って生まれてくる。そして本懐を遂げたとき、自分の人生の中でどれだけ自分の性質を磨き勤しみ、世のため人のために尽くせたか?!そして、自分のお役目をどれだけ全うできたか?!という自分の人生についての答え合わせをするんだよ」

その師からの言葉は、今でもわたしの心の奥底に刻まれています。

 

笑う終活

前職で携わった遺品整理業務で、親族が困らないように家の生前整理が如何ほどに大切なのかを体感しました。

そして、家の生前整理だけではなく、自己内面の要らないものをいそぎよく削ぎ落す、素早く手放すと、できるだけ心身軽になるほうが身も心もとても楽になります。

人生とは、決して楽しいこと、しあわせな事ばかりだけではなく、嫌な事、悲しい事、など怒りなども抱き、いろいろなことが起こります。
自分にとって要らないものは、できるだけ早く手放し解消するほうが、良い良い未来が創造されます。

そして身軽になればなる程に、心地よい人生になります。

よりよい人生を過ごすために、1日の終わりに「終活」する。

人は、毎朝新しい自分が誕生します。

今日という新しい自分の扉を開くのは自分。

昨日の古い自分の続きをするのも自分。

人生は、むやみやたらに不幸が訪れるのではありません。
不幸は不幸なりの理由があります。

それは、因果。
因果とは、原因と結果です。

自分の人生の問題となる元凶を見つけ素早く元となる部分を根こそぎ刈り取ることが大切です。

そして、今、表現されている貴女の才能・魅力は、全てではありません。
全て出きってはおらず、ほんの「氷山の一角」なのです。
つまり、秘めた才能と魅力がまだまだたくさんあるということです。
自分の才能も魅力も出し切らないうちに、この世を終えるにはもったいなすぎます。

残り半世紀をどのように生きるかを決めるのは自分自身。
笑うしあわせな終活は、未知なる自分との遭遇です。

自分の中にあるダイアモンドの原石を探す、宝探しです。

歓喜

未知との遭遇をしたクライアント女史たちは、みな

1:How wonderful!!
この世がこんなにまでも美しかったとは。

2:Amazing!!
この世は、感謝に満ち溢れている。

3:自分の機嫌は自分で取れるようになった。

4:自分をここまで愛せる様になれるとは。

5:自分の中からいつも愛が満ち湧いてくる。

6:人生とは、こんなにまで楽しいの?

7:毎日が楽しい。

8:毎日がしあわせ。

自分の本質に立ち返る

「自分が自分らしく生きる」「自分の本質に立ち返る」これ以上に素晴らしい生き方は、ありません。

全ては因果。原因と結果があるのです。そしてこの世は、陰と陽。
光の部分があれば、闇の部分もある。それが自然摂理というもの。

 

近年、汚い・醜い・酷いといった陰の部分を排除するという社会現象が起こっています。
また、自分らしく生きる=わがままという認識で捉えている方もいます。

それは、この地球上にある物の道理から外れています。
排除は、抵抗することを意味します。
抵抗するものは、はびこるという流れから動きになります。
また、自分らしく生きることと、わがままはイコールではありません。
そして、わがままと自分の意思も全く別物です。

自分が本質に立ち返るということは、それらが指す意味を見通す能力が身につきます。
道理に生きるということが、本質に立ち返るということ。

素晴らしい笑うしあわせな終活をはじめましょ。