先斗町 いづもや

歌舞伎を見た後のお食事は、京都の先斗町にある「いづもや」さんにて滋養強壮を補給します。
 
大正5年に新京極に創業し、昭和21年に現在の先斗町に移転され、京料理と鰻のお店です。
名物の蒲焼は、大正時代からの秘伝のタレで焼き上げる江戸前手法だそうです。
 
器の中に季節の味や彩りを、艶を封じ込め、四季折々の情緒を優雅に盛り込んだ京料理。
 
5月1日から10月31日は、京の風物詩、鴨川のすぐそばを流れる「鴨川 納涼床」を楽しめます。
江戸時代から続く、暑い京都の夏を、鴨川のささらぎと涼風で和らげる京都の文化です。
 
 

先斗町の歴史

江戸時代初期の寛文10年(1670年)に鴨川の州で、護岸工事で埋立てられ、この地に水茶屋が初めてもうけられたのは正徳二年(1712年)の頃、 初めは高瀬川を上り下りする高瀬舟の船頭や旅客目当ての旅籠屋が茶立女を置いていたそうです。
その後、安政6年(1859年)になって芸者嫁業の公許が下り、花街としての花を開かせました。
先斗町は祇園と並ぶ花街として有名になったのは、明治5年(1872年)に第1回京都博覧会の観光客誘致の一助として「鴨川をどり」が初演されて以来だそうです。
 
また、先斗町(ぽんとちょう)という名前の由来は、ポルトガル語の(ponta(先)、ponte(橋)、ponto(点)に由来するという説があったり、またの一説によると1915年(大正4年)に出版された『京都坊目誌』には、「当初は、東側ばかりに家が建ち、西側にはなかったことから、先斗(さきばか)りという意味で先斗町と呼ばれるようになった」と記載されているようです。
 
 

『美色達人』倶楽部

日夜「日本 帝王学」を研磨し、陰陽道を修養する日々。
しかし、ゆったりと肩の力を抜き「無所属」になる時間も大切にしたいものです。
 
海外移住から帰国した2014年、改めて日本の優美に魅了されて以来、日本舞踊のお稽古に通ったり、戦国時代の織部茶道に触れ「静」の時間を過ごしています。

時に、リーズナブルなお値段で市川海老蔵さんや中村獅童さんの歌舞伎のチケットを入手して観劇で日本伝統文化を楽しみ、またガイドブックにはのっていない「京都めぐり」街の探索も楽しんでいます。それは、どんなに空間を演出しようとも外国では味わい尽くせない日本の「雅」「侘び寂び」がございます。

 
2020年初頭から世界中で猛威を振るう新型コロナウィルス感染拡大の影響から孤独を感じた人は少なくはないのではないでしょうか。
しかしながらも近年、情報が氾濫し、忙しい毎日を混沌と過ごしています。
忙しさと共に、ただ過ぎゆく時間が流れ、自分がいったい誰なのかを見失い、自分の進むべき道すらわからなくなり、人々は路頭に迷いだします。
また、目の前の「課題」に取り組むだけの人生に溺れてしまう。
 
それらを快癒すべき、ニュートラルとなり、心ほどく時間がとても大切なように感じています。
気負いすることなく穏やかで、和やかながらも人は、正しい「美」に触れることで幸せになります。
そんな思いから命名した『美色達人』倶楽部。
 
  • 食べること
  • お酒が好きな方
  • 和の心が好きな方など
    心ほどける、楽しいお時間を共有できると嬉しいです。