人生の遠回りから脱却
「人生たるものや」本質を見抜くチカラがとても大切になります。
そのための原理原則は、良き師に教えてもらわなきゃ身につきません。
自分流は、逆に遠回りすることがあります。
そして人生の本当に知りたいことは、教科書には決して載っていない。
自己流で色々試行錯誤するほど、人間の人生は決して長いものではありません。
良い人生を送るためには、良き師に出会い、教えを乞う。
これは帝王学にも書かれていることです。
師から学んだことをすぐさま自分が手の付けられるところから実行することが成功早道の秘訣となる。
今、軽々とテクニックだけを真似て、それらしい人生を送っているものもいますが、それにはどうも深みがなく、油断をすると足元がすくわれてしまうことも少なくありません。
大切なのは、原理原則を知り得たうえで実践していくこと。
幼いころから親や教師に頭ごなしに色々なことを押し付けられ、教えを乞うことに正直うんざりするのもわからないでもありませんが、大人になってからは、自ら進んで学ぶ意識をもたなければ人格者になる道はありません。
また、年齢を重ねれば重ねるほど、いらない執着やこだわりが増えます。
そんないらないものを削ぎ落し心身ともに軽やかにななる方法を体得しなければいけない。
これもれっきとした学びである。
人は、執着心や囚われなど「頭ではよくわかっているのだけれども」という言葉を吐く。
しかし、年齢を重ね体力がどんどん低下するなかで、執着、こだわりや囚われなどの重たい荷物を背負いながらの人生はとても大変なことです。
そこも、やはり原理原則は欠かせない必須項目です。
また原理原則を体得することで、本質を見抜く力も養われます。
それには、やはり良き師をもつのが、人生の近道。
そこは人生の近道をして、より研磨する時間に費やす方が、充実とした人生を歩むことができます。
何事も頑固一徹、自己流で行おうとするから、よりしがらみを自ずから生み出している。つまり、良からぬ因果を増やしてしまう。
人々はその悪循環ですら全く気が付いていないという有様です。
それもそのはず、自分で自分をしっかりと見ているつもりでも、人は自分の都合の良い方にしか解釈しないもの。
そして、何より死角といって、よほどの鍛錬がない限り自分では簡単に見ることのできない部分を誰しもが持っています。
実は、その死角に長年繰り返し起こる人生問題の元凶が潜んでいます。
自分の死角を直視するキッカケを引き出してくれるのも、良き師のありがたみ。
その元凶が早く見つかれば見つかる程に、有意義な人生を過ごす時間は長くなります。
良き師を持つ事。それは己の命の次に大事なものほど、人生を雲泥の差になります。