心の中の終活
わたしは、過去8年間便利屋さんで勤務していました。
毎日現場が変わり、業務の内容も毎日変わりました。
引っ越し、家具移動、ハウスクリーニング、エアコンクリーニング、犬の散歩、お庭の水やり、結婚式代理出席、法事代理出席、遺品整理など大きい小さいは関わらず、たくさんの業務をこなしてきました。
その中で、特に多かったのは、孤独死の遺品整理でした。
大概の場合は、ジメジメとしたカビの臭いが充満し、昼間でも電気をつけないと真っ暗な住居に住み、部屋の中はごみの山。
「人生とは何か」と自己に問う多くの経験をさせて頂きました。
そんな中に流行りだした「終活」という言葉。
終活とは「人生の終わりについて考える活動」を略した造語で、2009年に終活に関する書籍が出版されたことを機に徐々に広がりはじめ、2011年の映画『エンディングノート』の公開や、2012年の「ユーキャン新語・流行語大賞」でのトップテン選出などを経て、社会現象を巻き起こしました。
日本の社会は急速に少子高齢化が進み、近い将来、団塊の世代が大挙して介護を受け、そしていずれこの世を去る。そのため現代では高齢者の間では、周囲に迷惑をかけずに人生を終わるための準備する必要性が増してきました。20世紀初頭のように一世帯10人近い子をもうけた時代には、分担して親の老後の世話や故人の後始末を行うことができました。現代のように子供1人または子供がいない夫婦や、未婚者が珍しくない時代には、子供の世代へ大きな負担はかけられない。昭和期以前に比べて地域社会での人間関係も希薄になっており、社会現象として“終活”が広がっています。
自己内面の終活
わたしは、多くの孤独死を目のあたりにして、自分の内面の断捨離がいかに大切なのかを身近に感じながら生活してきました。
当時、その理由については漠然としてしていましたが、その数年後わたしの師の言葉で目が覚める思いでした。
それは、
「人は死を迎え自分の魂が体から抜け、あの世に辿り着くまでに、自分の今まで生きた人生を走馬灯のように見ながらあの世に向かうんだよ。その理由は、自分がこの世に生を受ける前に、自分にしかない性質と自分のお役目を持って生まれてくる。そして本懐を遂げたとき、自分の人生の中でどれだけ自分の性質を磨き勤しみ、世のため人のために尽くせたか?!そして、自分のお役目をどれだけ全うできたか?!という自分の人生についての答え合わせをするんだよ」
その師からの言葉は、わたしにとってより使命を深きものにするキッカケになりました。
家の生前整理だけではなく、自己内面も、いらないものは素早く手放し、削ぎ落して、できるだけ身軽にするほうがいい。
人生は、決して楽しいこと、しあわせな事ばかりだけではなく、嫌な事、悲しい事、など怒りなども抱き、いろいろなことが起こる。
自分にとって不愉快なものは、できるだけ早く手放し解消するほうが身のため。
身軽になればなる程に、心地よい人生になります。
人生末期の終活ではなく、よりよい人生を過ごすため明日のために1日の終わりに「終活」する。
人とは、毎朝あらたな自分が誕生している。
今日という新しい自分の扉を開くのは自分。
昨日の古い自分の続きをするのも自分。
貴女は、どの扉を開きたいのだろうか?
貴女の才能・魅力は、まだ「氷山の一角」でしかないことを知ってほしい。